ロシアで二月革命が勃発し

1917年2月にロシアで二月革命が勃発し、臨時政府が成立すると、レーニンはドイツ政府との協定によって封印列車でペトログラードに戻り『四月テーゼ』を公表。

二月革命をブルジョア革命と規定し、プロレタリアートと貧農への権力移行を主張した。

7月に兵士たちの武装デモが鎮圧され、ボリシェヴィキに対する弾圧が強まったためフィンランドへ逃れたが、その後8月に右派のラーヴル・コルニーロフ将軍の反乱が起こると臨時政府の側に立った。

反乱との闘争を通じてボリシェヴィキが支持を急速に拡大し、ソビエトで多数派を占めることができたため、即時武装蜂起を主張。

ボリシェヴィキ内部の慎重派を押し切って十月革命を実現させた。

彼が十月革命の直前に書き、革命直後に出版したのが『国家と革命』である。

国家を階級支配の機関とみる国家観に立ち、議会選挙を通じた平和的な権力移行を否定し、既存の国家機構は奪取するだけでなく粉砕しなければならない、と主張して暴力革命論を復権させた。

権力の奪取10月革命でペトログラードの群集を前に演説するレーニン1917年11月7日、レーニンはペトログラード労働者・兵士代表ソヴィエト軍。
update:2010年03月12日